結局グレープフルーツって何よ?ゆらゆら帝国の「グレープフルーツちょうだい」を考察

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こんにちは、emです。

今回は、ゆらゆら帝国のグレープフルーツちょうだいについて考察します。

 

グレープフルーツちょうだいとは?

ゆらゆら帝国の数ある楽曲の中でも人気を博す曲。ロックサウンドの中でボーカルの坂本慎太郎さんの声がつぶやくように歌う(語る)スタイルが大胆で斬新。それでいてクール。1996年、インディーズ時代に発表されたアルバム「アーユーラ?」に収録。また、2004年にリリースされた「1998-2004」というベスト盤にも新録として1曲目に収録されています。

この曲のもたらす第一印象

サウンドとして激しい印象はあれど一定したコード進行で淡々とした空気感があります。それがもたらす渦のようなグルーヴに男の朴訥な語りが乗っかることで、バンドサウンドというよりは語りとバックグラウンドミュージックのよう。イントロなしで始まるこの曲の出だしは「さっきからあなたの目の前で・・・」とまあ主人公の一人語りなわけですが、すでにこの瞬間からこの曲のなんかよく分からんけど何かが始まってしまう緊張感がひしひしと、この身に迫ってくるわけです。

 

歌詞を考察していく

作者の真意は不明ですから、ここからは仮説として書いていきます。

仮説①主人公は女に好意がある

これは歌詞の全体的な流れでわかることですが、主人公は「ぼく」で目の前に「あなた」がいます。彼の世界にはひとりの女性がいるようです。頭の中で描かれる主人公の願望は馬みたいな車と、車みたいなギターと、ギターみたいな女の子

 

でね、この描写、ものすごくエロい。(個人的に。)

 

ぼくにとってあなたはいるだけで安心する存在であり、あなたが私の(ここ十年間の)シンボルなのであります。愛情、を超えてもしくは崇拝している存在かもしれない。崇拝とはどういうことかというと、手に入らない崇高な存在であり距離感であるということです。

 

仮説②主人公と女の間には距離がある

あなたが目の前にいるのに言葉はなくましてさわることなどできないでいる。また、もう一度ここへやってきて・・・と懇願するような節からも、すでに物理的な距離も確定している。

そもそもだ。ギターみたいな女の子が欲しいと言っている点で、女の子とあなたを重ねて見ているとすれば、あなたは手に入っていない存在であり、欲しくてたまらない存在であるわけです。

 

仮説③頭の中では大変なことがおこっています

手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうでそれを押さえつけてジッとしているだけでやっとの状態です。

あと10秒数えるあいだにここからどこかへ消えてくれないとお前の大事な冷蔵庫の中身を全部食っちまうぞ

と主人公は述べています。

 

これの大変なところは、全てが一人語りであり、全てぼくの脳内で起こっていることだということ。手と足と胴体をじっと押さえつけている状況よりも、その感覚を脳内で想像できていることが不気味なわけです。

冷蔵庫の中身とは、「あなた」のメタファーと思われます。

 

怖いわ。

 

そもそも目の前にいたあなたも妄想かもしれない。空想の川のむこう側から時々こちらを確認している・・・とあるように。

 

仮説④グレープフルーツはあなたであり、余白

突然出てくるグレープフルーツ。これに関しては、全くなんのことやらわかりません。なんでグレープフルーツだったのか?

人によっては、グレープフルーツの効能とか花言葉とか拾ってくる人もいるかもしれない。しかし私はこのなんの脈略もないグレープフルーツに、余白が残されていると解釈したい。

 

馬みたいな車に乗って

車みたいなギターを弾いて

ギターみたいな女の子のヒザの上にいたい。

1番よりもより具体的に望まれたこの3つの節、これ3行目だけ異質なのです。

多分こいつ(主人公)は馬みたいな車も車みたいなギターもいらないのだ。

そんなのはダミーで、ただギターみたいな女の子の上にいたいだけ。

副題は「I Want A Guiter Like A Car」だけど、これは真意ではなくて、つまり主人公は「I Want A Girl Like A Guiter」と言いたくて言えない男なわけです。

 

この歌って実はシンプルで、主人公が欲しくてたまらないものが彼の独白のようにして渦巻いている歌。そして唐突に繰り返される、グレープフルーツちょうだい。エコーで彼の脳内に鳴り響く「グレープフルーツちょうだい」。

このグレープフルーツに入る言葉は想像にお任せ、というわけなのであります。

 

まとめ

とまあ、ここまで妄想で書きました。なぜ私がこの記事を書こうかと思ったかというと、芸術の解釈って人それぞれだよねと思うことがあったからです。坂本さんが、いやこれは本当にグレープフルーツ食べたいって歌なんですと言ったらそれまでなわけですが、でも幸いなことに坂本さんは歌詞のことを語らず、その余白を残してくれています。

 

検索すれば、グレープフルーツちょうだいの次に解釈というサブキーワードが出てきます。それだけ余白のある歌であり、たくさんの人が自分なりのストーリーで楽しんでいる。それって素晴らしいアートだと思うのです。坂本慎太郎さんがソークールなのが伝わったところで、「音楽」というアニメーション映画を是非ご覧ください。ほっとするから。

 

引用:グレープフルーツちょうだい/ゆらゆら帝国